大阪市職員労働組合(結成当時は大阪市職員組合)は、終戦の翌年1946年2月6日に結成されました。当時、連合国軍の占領−民主化政策と、敗戦直後の深刻なインフレや食糧危機が結びついて、日本の民主運動、労働運動は嵐のような勢いで発展し、労働組合の組織化が進んでいました。軍国主義の弾圧によってすべて解散させられていた労働組合勢力は、大阪市職結成時点では、3,242組合153万6千人に達していました。
大阪市関係では、戦前からの歴史をもつ大阪交通労働組合が1945年11月15日、大阪市従業員労働組合が同12月5日に誕生していました。こうした背景の中で、職員の間でも復興局、保健部、各区役所において、それぞれ職員組合が結成され、相互に連絡をとりつつ運動が始まっていました。労働組合と名乗るべきか、単一組合か、職業幹部的な書記長をおくべきかどうか、はては旗の色を赤にするかどうかなど、暖房もない部屋でオーバーを着込んだまま、議論が積み重ねられました。
1946年2月6日午前9時過ぎから、珍しい降雪の中を中之島公会堂へ向けて市職員の列が続き、やがて1,700人が大ホールを埋めました。綱領・規約草案が可決決定され、大阪市職員労働組合が誕生したのです。大会の最後には、「我等ハ民主主義ニ立脚シ労働組合ノ強固ナル団結力ヲ以テ凡ユル反動的支配力ト闘ヒ生活権ヲ確保スルト共ニ封建的官僚的悪慣習ヲ打破シ以テ吏道ノ刷新市政ノ明朗化ヲ実現セントス」とする大会宣言が満場の拍手で確認されました。まさに、戦後の廃墟のなかから、自由・民主・平和への願いのもとで、大阪市職は歩み始めたのです。
2016年2月、大阪市職は結成70周年を迎えました。組合結成当時の「地域社会改革の原動力としての労働組合」という原点を再確認し、引き続き志を高く大胆な運動に向け挑戦を続けていく決意です。